美しさとは
子どもの頃、私が父にずっと言われ続けた言葉があります。
「本をたくさん読んでいる人は目の輝きが違うものだよ」
「一つ一つの動きがきれいな人は美しくみえるものだよ」
一方で、父は女性も自立しなさいということも何度も話してくれました。
「大人になったら自分が自信を持てる仕事を持っておくといい。
そうすれば、自分の人生を選べるようになるから」と。
子どもの頃の父の本意は理解できていなかったかもしれませんが
父親の言うことを大切にしていました。
両親は本だけはたくさん買ってくれましたし
兄弟みな本を読むのが好きでした。
そして私が何より感謝しているのは
所作の美しさを意識しなさいと教えてくれたこと。
「一つ一つの動きがきれいな人は美しくみえるものだよ」
この言葉は、大人になってからのほうがよくわかります。
私は両親に大切に育ててもらいましたが、
普通の公務員家庭でしたから、
高級店で食事の作法を教えてもらったとか
社交のルールを教えてもらったとか
そういうことはありませんでした。
でも、両親の給料の許す範囲内で
色々な場所に旅行させてくれましたし
観劇やコンサートを楽しませてくれました。
旅行先では子どもでも退屈しないような
森の中や海辺にある美術館や博物館によく連れていってくれました。
(今思えばそういう場所を旅行先に選んでいたのかもしれません)
少しおしゃれして年に数回、フランス料理店に連れていってくれたのも
とてもいい想い出です。
父は小さい頃からそういう機会を与えてくれて
他人から適切に対応してもらえることに大切さや
その適切な対応に感謝を示すことの大切さや
場所に応じたマナーを身に着けることの大切さを
教えてくれていたのだと思います。
それらを通じて口うるさく「所作に気をつけなさい」というのではなく
日常の中で所作の美しさが身につくように言い聞かせてくれて
それを外出先でも自然にできるように
色々な場所に連れていってくれたのだと
大人になってわかるようになりました。
今日のできごと
先日、ある大人の女性と話をしていました。
50代の女性で、昨年まで教師をしていた方です。
聞いてほしい話があると言われ、
契約時間外でしたが
30分だけならということで控室に入っていただきました。
ところが
その女性の姿勢や話し方があまりにもきれいでないので
話が半分くらいしか頭に入ってきませんでした。
テーブルに向かい合って座っていたのですが
椅子に体重をかけるように座り、
背筋が曲がり
そして足を組んで話をし続けていました。
その座り方のせいか
とても横柄に見えました。
時折ペットボトルをバッグの中から出し飲んでいました。
飲んでいるというよりも
ペットボトルの蓋をあけ
口をつける動作が癖になっているように見えました。
2-3分に1回その動作を繰り返すのです。
髪を触るのも癖になっているようでした。
長く垂らしたサイドの髪を触ったり
斜めに流した前髪を触ったりし続けていました。
表情も口角が下がり気味で
不平不満だらけの表情。
(話の内容がそうだったわけではないのですが)
的を射ない話が続き、
終始落ち着きのない態度で
私もすっかり疲れてしまいました。
我が身を振り返る
私も父が一生懸命育ててくれた割には
所作が美しくない時があると思うので
偉そうに指摘するつもりはないのですが
少なくともその女性は
だらしない印象や横柄な印象を与えてしまうので
誤解されやすいのではないかと思いました。
顔立ちはとても美しい方なのに
その所作が台無しにしている印象。
とにかく、もったいないの一言です。
30分という約束を超過し、
彼女が部屋を出て行ったのは50分後でした。
私は次の仕事が10分後に控えていたので、
休憩をとる時間もありませんでした。
そのことに対して一言のお礼も謝罪もなかったことも
彼女を美しくみせない一つの要素になっていたでしょう。
顔かたちが美しいことも
その人の美しさを形作る要素であることは事実です。
でも所作が美しい人は
凛としたものを感じます。
そして顔かたちとは別の次元の美しさを感じるので不思議です。
父は私にそんなことを教えてくれていたのかもしれません。
「あなたの印象を決めるのは顔や髪型等の美しさだけでなく
あなたの動作や話し方や表情なのだ」と。
父の教えを十分に活かしきれていないのが
残念な私ではありますが
所作の美しい人を今からも目指し続けようと
改めて思った出来事でした。
歩いている姿さえ
颯爽として美しい人っていますよね。
ドアをあけて入ってきた途端に
周囲の空気をぱっと明るくできる人とか。
そういう人でありたいなと。
同年代の方のブログは、面白いので私もよくお邪魔しています!人気ブログランキング
コメント